大川橋蔵映画魅力の全て

ポスター

映画の魅力を観客に伝えるポスター。

多彩なポスターが当時の映画の華やかさを伝えています。

橋蔵さんの出演作品のポスターを順次掲載していきます。

とみい

橋蔵さんの後援会誌『とみい』

橋蔵さんの近況や活躍を知らせるとともに、ファン同士の交友の場としても機能していました。映画批評など、ファンの熱い思いが伝わってきます。

紫の園

毎月、ファン一人ひとりに近況とブロマイドが貼られた冊子が送られていました。四隅のコーナーに写真が1枚1枚差し込まれて。ファンを大切にした橋蔵さんの一面がうかがえます。


このサイトをご覧になられる皆さまへ


6代目尾上菊五郎の養子となり、将来を嘱望される歌舞伎の女形から映画に転向、若さま、葵新吾、銭形平次、と一世を風靡したスター、大川橋蔵。その美しさは多くの女性ファンを魅了しました。

しかし、1984年12月7日、55歳の若さで帰らぬ人となってしまいました。

 

いま、橋蔵さんを知る人も少なくなってしまいました。

ファンの多くも高齢となり、多くの映画雑誌やポスター、スチル写真なども、亡くなると一緒に墓に埋められたり、捨てられてしまうようになりました。

このままでは橋蔵さんの資料がなくなってしまう。後世に伝えようにも何も残らなくなってしまう。

焦りに似た思いが私を襲いました。

 

橋蔵さんの足跡を少しでも多く残しておきたい。

たとえそれがオリジナルでなくても、コピーやスキャンでも内容がわかればいい。

資料集めがはじまりました。

 

いま、私の手元には譲り受けたり、借りてコピーやスキャンさせていただいた資料がわずかですが集まってきています。でもこれらが永久に残せるかとなると、不安がつのります。

 

私はデジタルを信用していません。

DVDに保存しているデータだって、いつ見られなくなるか分かったものでないからです。

パソコンが新しくなるたびに、グレードアップしない限り、いずれは見られなくなってしまいます。

そんな煩わしい作業を果たしていつまで続けられるか、やがては選別のふるいにかけられることでしょう。

そして、それはその時代の価値観や審美眼に左右されることは明らかです。

 

とはいえ、今の時代、ほかに保存の方法があるというのでしょうか。

ともかくも手持ちの資料をデジタルUPすることにしました。

それらが末長く残っていくことを願うと同時に、いまのうちに、多くの方に見ていただくことが大事だと考えるようになりました。

 

橋蔵さんの素晴らしさと、その時代の映画関係者やファンの思いを、ポスターや後援会誌などを通じて感じ、お楽しみいただければ幸いです。

 

折しも今日、4月9日は橋蔵さんの誕生日。

生きていらしたら89歳のこの日、橋蔵さんの資料が永久に残ることを願って、思い出映画館は開館いたします。

皆さまのご来館をお待ちしております。

 

 

古狸奈

(2018/4/9)

 


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