「紫の園」

『紫の園』は毎月、ファン一人ひとりに封書で送られていました。

結婚式の案内状に見られるようなちょっと厚めの台紙で二つ折り。片側には橋蔵さんの近況が印刷され、もう片方は橋蔵さんの舞台写真や撮影風景、家族写真などが、四隅を当時写真をアルバムに貼り付ける時に使う三角コーナーに1枚1枚、差し入れられていました。

どんなにか手間のかかる作業だったことでしょう。

橋蔵さんがファンを大切にされていたことがうかがえます。

 

この『紫の園』はある方からお借りして、スキャンさせていただいたものです。

1975年(昭和50年)から約10年分で、貴重な資料となっています。

裏面は橋蔵さんの家紋の「違い柏」と「むつき」「きさらぎ」など古い月名が黄色や緑など、その年の色で印刷されていました。

お借りしたときは封筒はすでに処分されていましたので、正確な年月はわからなかったのですが、文面などから整理したものです。

年月が間違っているのがあるかもしれません。お教えいただければ幸いです。


55年1月以降の『紫の園』は「大川橋蔵ノンフィルム資料館」別館に掲載しています。

そちらをご覧ください。

   「別 館」 https://colina43korina.jimdofree.com

         


『紫の園』54年12月


『紫の園』54年11月

 写真は54年10月、「吉例第十二回 大川橋蔵特別公演」(新歌舞伎座) のものと思われます。

同曲は 六代目が 中入曲を潮来出島から『藤音頭』に替えられた有名な舞で、橋蔵公演でも一番多く舞われています。

関西に所縁の歌詞でもあり、最後の橋蔵公演(新歌舞伎座)でもされています。(小雪さん)


『紫の園』54年10月

写真は「吉例第九回五月薫風公演」(明治座) から。


『紫の園』54年9月


『紫の園』54年8月


『紫の園』54年7月

写真は54年5月「吉例第九回 大川橋蔵五月薫風公演」(明治座) の『春秋』での若衆姿。
この時『藤娘』も舞われています。

舞台は『若さま侍捕物帖』と『銭形平次捕物控 母を呼ぶ鈴』ですが、後者で紫さん親子共演が実現しています。(小雪さん)


『紫の園』54年6月(欠)


『紫の園』54年5月

 写真は「吉例第九回五月薫風公演」(明治座) から。


『紫の園』54年4月


『紫の園』54年3月

53年12月「吉例第十二回 大川橋蔵特別公演」(歌舞伎座) の『お祭り』の鳶頭の富蔵 。

50年10月「吉例第八回 大川橋蔵芸能生活40周年記念特別公演」(新歌舞伎座)では芸者姿。その他 何回も『お祭り』は演じておられます。(小雪)さん


『紫の園』54年2月

53年12月「吉例第十二回 大川橋蔵特別公演」(歌舞伎座)から。

『新吾十番勝負』では頼方 美女丸 新吾の3役を演じられ、写真は 美女丸。

共演者は辰巳柳太郎(一真)、藤間紫(お鯉の方)、岩井友見、坂東吉弥さん。

吉弥さんは『鏡獅子』の後見役もしています。(小雪さん)


『紫の園』54年1月

写真は 53年12月 「吉例第十二回 大川橋蔵特別公演」(歌舞伎座) 、新歌舞伎十八番の内『春興 鏡獅子』(弥生後に獅子の精)。

6代目の十八番で、橋蔵公演では 43年12月(歌舞伎座) と 45年10月「吉例第三回 特別公演」(新歌舞伎座) の3回 。 39年3月「俳優祭」でも 舞われています。(小雪さん)


『紫の園』53年12月

53年10月「吉例第十一回 大川橋蔵特別公演」(新歌舞伎座)。この時のお相手は紫さん。

賀茂川の床の風情、宵山夏祭り、大文字の篝火を背に、愛しい人と酒を呑み干す情景。
軽快な三味の音としっぽりとした旋律が上手く組み合わされた曲です。(小雪さん)


『紫の園』53年11月

 53年9月26日、「藤間会」(歌舞伎座)での親子共演。

若衆綾之丞役で、お相手の功次郎君は未だ9歳。

橋蔵様のお顔は お写真より映像のは若く見え、15、6歳の若衆姿。 

2人舞ではお子様を気遣い、首や手で逐一合図されているのが何とも微笑ましいですね。(小雪さん)

 


『紫の園』53年10月


『紫の園』53年9月


『紫の園』53年8月

53年5月、「吉例第八回 大川橋蔵五月薫風公演」(明治座) の演目『権八と小紫』

白井権八は鈴ヶ森で処刑された平井権八がモデル。

「お若えのお待ちなせえや」
「待てとおとどめなされしは拙者の事でござるかな?」のは幡随院長兵衞との『鈴ヶ森』での有名な台詞。

42年1月、東映歌舞伎でも『 編笠権八』で演じておられます。(小雪さん


『紫の園』53年7月

53年5月、「吉例第八回 大川橋蔵五月薫風公演」( 明治座) での写真。

長唄 の名曲 『秋の色種』は 技巧的な曲で素踊りが多いのですが、艶やかな 御殿女中の姿で舞われています。
この曲をこのように魅了させてくれる舞は、橋蔵様をおいてはないといつも思います。(小雪さん)


『紫の園』53年6月


『紫の園』53年5月


『紫の園』53年4月


『紫の園』53年3月

写真は52年12月、「吉例第十一回 大川橋蔵特別公演」(歌舞伎座)から。

映画と同様、雪之丞と闇太郎の二役。

同演目は、47年5月、「吉例第二回 大川橋蔵五月薫風公演」(明治座)でも演じておられます。

                                     (小雪さん)

 

 


『紫の園』53年2月

写真は、52年12月「 吉例第十一回 大川橋蔵特別公演」(歌舞伎座) (小雪さん)

 


『紫の園』53年1月

写真は52年12月、「 吉例第十一回 大川橋蔵特別公演」(歌舞伎座)から。

1月の「新口村 」と 2月の「道行雪の故郷」の写真は「大川橋蔵特別公演」での演目『道行雪の故郷 新口村』。

「新口村」 は 浄瑠璃 『 冥土の飛脚 』の三段目の通称。

この前の場は「封印切」で、大坂の飛脚問屋亀屋の養子忠兵衛が、 男の意地から 預かり金の300両の封を切り、恋仲の梅川を身請けした後、2人で落ち延びるのが大和(奈良) の新口村。梅川は紫さん。

                                  (小雪さん)

 


『紫の園』52年12月

 52年10月、「新歌舞伎座出演十周年記念 吉例大川橋蔵特別公演 」での『鷺娘』。

前回の『鷺娘』とまた違うポーズで、 両傘の掲げ方、立ち姿、本当に格好いいですね 。

映画 『雪之丞変化』 の最後も この舞。 ほんの少しで 終わってしまい残念でした が・・

                                 (小雪さん)


『紫の園』52年11月

 写真下には 『三番叟 』となっていますが 、『三世相錦繡文章( さんぜそうにしきぶんしょう)』 の お園と六三郎の間違いと思われます。

 この演目は51年5月、「 吉例第六回大川橋蔵五月薫風公演 」( 明治座) と、 52年10月、「新歌舞伎座出演十周年記念 吉例大川橋蔵特別公演」で上演されています。
 この曲は 『三世相 』あるいは『お園六三』と省略した言い方で親しまれています。
                    (小雪さん、ゴンチャン猫さん)

『紫の園』52年10月

49年5月、「吉例第四回大川橋蔵五月薫風公演」(明治座) での『幻 椀久』 の 椀久( わんきゅう)。  遊女 松山 は 藤間紫さん。 

大阪御堂前の豪商・椀屋久右衞門 が 豪遊の末 狂死(1677年)した実話を基に作られた舞『椀久』を基本に 新曲『 幻 椀久』で舞われています。(小雪さん)

 


『紫の園』52年9月


『紫の園』52年8月


『紫の園』52年7月(欠)


『紫の園』52年6月

52年5月、「吉例第七回 大川橋蔵五月薫風公演」( 明治座) での『明烏( あけがらす)』の 春日屋時次郎 。

新内の代表曲の一つ『明烏夢泡雪』の通称ですが、 清元も有名ですし、常磐津 義太夫 もありす。 女形姿は勿論ですが、男姿も粋で気品があって いいですね。(小雪さん)

 


『紫の園』52年5月


『紫の園』52年4月

『おかる勘平』の おかる は 「大川橋蔵特別公演」では   46年10月、「 吉例第四回」 (新歌舞伎座) と 47年12月、「 吉例第六回」(歌舞伎座) との2回、 いずれも 『道行旅路の花聟(はなむこ) 』で舞われています。

 お衣装は同じですが年代が古いので、あるいは別の会でのお写真かもしれませんね。(小雪さん)

 


『紫の園』52年3月

 51年12月、「 歌舞伎座出演十周年記念 吉例大川橋蔵特別公演」での『傾城倭荘子 蝶の道行』の助国 。やはりお相手は紫さん 。(小雪さん)

『紫の園』52年2月


『紫の園』52年1月

  51年12月、「 歌舞伎座出演十周年記念 吉例大川橋蔵特別公演」 での舞台。
 『 男の花道 』の最後の場、加賀屋歌右衛門 (役名)が眼科医・土生玄碩(はぶげんせき) に恩返しのために舞う「長唄 老松 」のお姿です。(小雪さん)

 


『紫の園』51年12月


『紫の園』51年11月(欠)


『紫の園』51年10月


『紫の園』51年9月


『紫の園』51年8月


『紫の園』51年7月


『紫の園』51年6月

 写真は51年5月、 明治座「吉例第六回 大川橋蔵五月薫風公演」での「新鹿子道成寺 」娘 おこと 。何歳になられても 娘役は 可愛いですね(小雪さん)

 


『紫の園』51年5月


『紫の園』51年4月(もしくは52年4月)

 写真は50年10月27日、 藤間会 での 『高  尾 』 か   51年12月、「歌舞伎座出演十周年記念 吉例大川橋蔵特別公演」でも 『高  尾 』を舞っておられます。(小雪さん)

『紫の園』51年3月


『紫の園』51年2月


『紫の園』51年1月

 写真は 50年12月の 歌舞伎で 舞われた 「 鷺娘  」 だと思います

 その時 大川功次郎(貞仁さん)の初舞台で「四季三番叟」も親子で 舞われたと 思います 
 因みに お兄ちゃんの辰五郎さんの時は 45年10月、新歌舞伎座 で 「 廓三番叟 」 だったようです
 お二人共 お目出度い 三番叟にされた 橋蔵様のお気持ちが よく伝わってきます(小雪さん)

 


『紫の園』50年12月


『紫の園』50年11月

 写真は50年10月「吉例第八回 大川橋蔵芸能生活40周年記念特別公演」(新歌舞伎座)での
『傾城倭荘子  蝶の道行』の 助国。お相手 小槙 は藤間 紫さん。(小雪さん)

 


『紫の園』50年10月

 写真は49年10月、 新歌舞伎座「吉例第七回大川橋蔵特別公演」にて「お役者鴉」での 劇中劇 「与話情浮名横櫛」源氏店の 切られ与三郎  ( きよぴーさん)

『紫の園』50年9月


『紫の園』50年8月


『紫の園』50年7月

 写真は50年5月 明治座「吉例第五回 大川橋蔵五月薫風公演」での 【 おさん茂兵衛 】の 茂兵衛 (小雪さん)